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自分がされて嫌なことは他人にしない、という呪文を捨てる
ひかり

「自分がされて嫌なことは、他人にはしないようにしているんです」

という言葉。

実はここのところ、この言葉を発する人に出会う率がとても多くて。

そういう時期なのかな?

今日歩きながら、ふとこのことをぼんやりと、考えていました。

確かに、間違ってはいないし、他人への思いやりゆえの言葉なのでしょうし、

そのように教育されて育ってくることは多いですが。

この言葉が完全なる正義として、道のど真ん中を堂々と通ることに違和感を覚えています。

続きは長いので[READ MORE...]以降に格納します。
++++

自分がされて嫌なこと・・・それは、本当に他人にとっても嫌なことなのだろうか。
もちろん、明らかに救いが無いレベルで人を傷つける「嫌なこと」は、ここでは除いて考えます。

案外、自分の感性だったりルールの中で「嫌」と感じるから、それを他人にはしない、という、・・・つまり・・・、よくよく客観的に観てみると、「悪ではないけど、私は嫌だと感じるからしない」という、グレーなことが、多いと感じています。

そうなると、実は、目の前の人にとってはそれが嫌なことではなかったりするパターンも多いんですよね。
むしろ、「しないように」何かを言わなかったりやらなかったり、避けたり伏せたりすることで、変な歪みができて、その歪みゆえに、人を不快にさせたり嫌な思いをさせたりすることも、あるのではないかと。

今、「あるのではないか」と書きましたけど、これは確実に「あります」。

もっと恐ろしいのが、「しないように」していることが、実は相手としては「してほしい」ことである場合もあります。

もういっこ恐ろしいのは、「しないように」していることって、他から見ると、必要以上に「しない」ように「しすぎて」いて、やむを得ずそれそしなければいけなくなったときに、異常なやりかたで実践して、結果人を傷つけてしまう危うさがあります。
(そうすると、「やっぱり傷つけてしまうんだ」→「もう絶対しない」→また失敗する→・・・の永遠ループ)

+++++

私の話で具体例を出すと、私は自分のことを根掘り葉掘り聞かれるのが苦手で嫌だと感じるので、意識して、他人にはなるべくあれこれ聞かないようにしてきました。
話したい人は自ら話し出してくれるので、そういう場合は、「あ、話したい人なんだな」と思って、聞いてみる・・・という姿勢でいました。

でもね。よくよく考えると・・・。
「自分のこと話したい」人、「自分のこと聞いてほしい」人って、実は、ひそかに・・・結構たくさんいるんですよね。

それで、そういう人が、全員自分から自分の情報をじゃんじゃん出すかというと、そうでもなくて。
謙虚な人だったりすると、あまり自分からは話さないということもあるんです。
でも、やっぱり自分のことを聞いてくれると嬉しいし、興味持ってくれると嬉しいし、むしろ話したい!それが楽しいの!っていうタイプ。
そういう人は、自分のことに興味を持ってくれることが=好かれている確認、という感覚を持っていたりもするわけです。

そういう人だと、私からな~~~んにも聞かない、っていうのは、それが私が思う優しさだったとしても、その人にとってはとても物足りなくて、何か足元が不安な心地がぬぐえない、という状態になってしまいます。

ああ、これって、優しくないな、って。

おそらくね、これ、「自分がされて嫌なことは人にはしない」っていう呪文みたいなものに取りつかれているうちは、見えないことなんです。
何が見えないかっていうと、「相手のこと」を。
取りこぼしてしまうんです。

その人が何を求めていて、どういう人で、何が嬉しいのか。

やっぱり、大好きな人たちには、楽しい気持ちになってもらいたいし、一緒に居て私も楽しくありたい。
ちゃーんとつながりたい。
幸せで、お互い心地よくあるために、そういう所謂「思い込み」ともいえる呪文を捨てて、目の前の人をちゃんと見ることを、優先した方が、良いことだと思います。

+++++

さらに・・・。

「自分がされて嫌なこと」がもしあるのなら、それによって、何が嫌に感じるのかもっとよく考えた方が、良いです。

つまり、相手がその時にどう対応してくれたなら、もし自分だったら・・・嫌に感じないのだろうかとリアルに感じて、「しない」んじゃなくて、「どうしたら相手に嫌な思いをさせないようにそれができるのか」と、その解決策・・・というか、やりかたを考えた方が、人にやさしく在れると思うのです。

ああ、「自分がされて嫌なこと」と言っている時点で、自分のことしか見れてないのかもしれないなあと。

そこから一歩離れて、「相手がしてほしいことを捉える」ほうが、ほんとうのやさしさに、つながるのではないのかしらと。
目の前に居る相手をよくよく見て、相手の視点で、じゃあ、この場合には・・・この人には・・・、こうやって場をつくろうとか、こういうアプローチをしようとか・・・、そこが、大事。

あれっ。同じことを2度も書いてしまった・・・。


さっきの私の例で言えば、「どうすれば嫌に感じない聞き方ができるのか」を考えて、実践することです。
その人が、話したいけど自分から話せない人ならば。優しい聞き方、その人が話しやすい聞き方、を、考えて実践することです。

そうそう、そこが大事。

「相手がしてほしいことをする=相手がされて嫌なことはその人に、しない」ということになるのかな。
それは千差万別。

+++++

そう考えると、今まで生きてきたなかで、いろんなことが起きて、傷ついてきて、モノの見方が知らずのうちに偏っていたり、自分自身の不安だったり恐怖感だったり劣等感だったり、気おくれだったり・・・などの苦しいものたちがあるゆえに、愛からの視点が外れて、自分がまったく気付かないうちに、他人に嫌な思いをさせていたり、失礼なことをしてしまっていたりすることが、きっとありますよね。
良かれと思ってしたことが・・・、という事態。

それを考え出すと、恐ろしくて恐ろしくて、今まで自分がどれだけの失礼をしてきたのだろうかと、申し訳なさと恥ずかしさで、蒸発してしまいそうな心地にもなります。


本当に人を大切にするって、すごーーーく繊細で、並大抵のことではないのでしょうね。
必要なのは「愛と勇気!」

アンパンマン精神で、自身を振り返ろうと、思うのでした。

+++

そして、そう思うと、すこし、自分も楽になれる実感を、得ています。
人の発言で、「いやだなー」と感じることがどんどん減ってきます。

それはちょっと話題が違うので、またいつか。
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