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ゆるゆると、ものづくり。景色と日常と、コトバを。
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感じるもの感じること
そら

こう思うのは人間の脳がこうだから、っていう、答えのようなものを知ってしまうと

なんて味気ないのだろうと思うことが、あります。

一定の法則みたいなものを知っていると、色々なことがわかるようになりますし、
対応も容易になります。
そして何より、わかるって安心します。

でも、実際は人の心の動きで説明可能な側面なんて、
ほんとうに、ほんのほんのほんの、一部分なのだろうとも、思うのです。


論理的に表現できることは、働いたり生きていく様々な場面で大切だし
必要なことだけれど、
論理的にしてしまったがために面白くなくなることもありますし
綺麗に削り取られてしまう光当たらぬ無数の事柄たちもあります。

手段や思考や頭の良さとかわかりやすさとか、そういう
モヤモヤをパキっとさせるための道具たちを一切使わないところに、
「ほんとう」がフルフルと、やわらかく不安定に存在しているのだろうなと。

それはきっと、言葉にもできないし説明もできないもので、
注意深く触れて、じっと感じるものなのだろう思います。

それでね、そのフルフルしたものに時々触れていないとすぐに、
それはすぐに見えなくなるし捉えられなくなるし、
なによりも、感じられなくなってしまうものだな、と。

わかるためのもの、説明できるためのもので武装しているうちに、私たちは。

+++++

意識的に武装解除するひと時を、持ちたいものですね。

言葉にできない、ほんとうのことに触れる時間が増えるほどにきっと、
自分や自分を構成する世界の潤いや幸せを感じられ、
次第に心が満たされていくのかもしれないと感じる、この頃です。

多分忙しい時って、相当武装しているんですよね。きっと。
そういう意味で、立ち止まるとか、スピード緩めることが必要。

ほんとう、を、いつも、感じていたいです。
こたえあわせ
お台場

どうにも、ままならないこととか、自分ひとりの意思や力だけではどうにもならないことって

ありますよね。

どれだけ頑張っても、もう駄目なのかもしれない、いや、

もう駄目になってしまった、というような事態。


そうなってしまったときには、その時に結論を出そうとしなくていいと思うんです。

そんな時、結論は全部、未来に託してしまうというのはよい方法だと思います。


何度もそういうこと、ここにきっと書いてきているけれど、

その時には、こたえがまだ見えていなかった。

何年もたって今、過去の答えのひとつが返ってきました。

そう、前回の記事にも少し触れたけれど。


その場のために、目の前の人のために、自分ができることの全力を尽くしたのなら、

その場を、目の前の人を、愛しきったのならそれが全部正解ですよ。

自分のためではなく、目の前の場や人の幸せを全力で尊重したのなら。


その時はとても、つらいことだと思うんです。ままならないのですもの。

でもね、そうやって踏ん張ったことが時を経て、とても柔らかく暖かい形になって、かえってくることがあると知って

ひとつの希望の光を受け取った心地です。

過去の線上にある未来と、未来を描くための現在
日々の生活のなかで、なにかしら心に響いたこととか気づいたこととか、

心が動いた時のそういうもの、

メモにでも書き残しておくといいと感じるこの頃です。

過去の自分のしてきたことと、信じたことの答えが数年たってようやく見えてくるとか、

結果としての”事実”が現実に起こるということがあります。


こういう時、過去に書き残したものがあると、「あの時の答えだ」と、明確にわかることがあるのです。

書き残しておかないと、忘れてしまうことも多いから。そうすると、大事なことを見逃してしまうなと。


そして、いつも自分のできる限りのことを全力で行うことの意味を、思うのです。

タイトルのとおりです。

おわり。
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写真はさきほどプリザーブドフラワーで作成したお正月アレンジです。
長年お世話になってきたお教室の管理人さんに差し上げました。
本日、年内の花教室がすべて終了しました。これにて、およそ7年ほど続けた花教室を閉鎖します。

[READ MORE...]
ある日のおもうこと
みどり

少し前の、まだ梅雨時の写真です。

朝歩いていたら目に入った、きれいなグラデーション。

雨粒もきらきらしていて、とっても美しいですね。

きれいなものを見つけると、ふと、足が止まります。

+++++++++++++++++++++

●想像力

心の病になることを、本人の気持ちの持ちようだという人がまだまだたくさんいる中で、
どうしてだろうって考えることが本当に多いのですが、
たぶん、なったことのない人にはわからない感覚なのだろうと、想像しています。

インフルエンザにかかったことのない人は、そのつらさを本当の意味でわからなかったりします。
女性特有の体調不良も、男性には実感としてはわからないのでしょう。

たぶんそういうのと同じなんだろうな。

前向きに頑張っていたなかである日突然、今までできていたことができなくなる。

「え?」「どうして?」そんな瞬間の驚きや不安感、・・・それをたくさんの人が経験したならば、
少しは理解が広がるのだろうなと、想像しています。

でも、そんなすべてのことを経験していたら、忙しすぎて生きていけないんだろうから、
想像力、というものが必要なのだろうと感じています。

目の前の人のつらさを、意識的に想像するという、やさしさを持っていたいです。
本当の意味でわからなくても、わかろうとしながら想像したいです。


●立ち止まる意識

強くなければいけない。弱いのはダメであるという、そんな風潮もあるように感じます。
(そもそも強さとか弱さの定義って何だ?という話もありますが...)

心や感覚、感性にも個人差がありますよね。

速く走れる人もいれば、走るのが遅い人もいる。
風邪をひかない人もいれば、風邪をひきやすい人もいる。
それと同じ。
言葉に、人に、環境に・・・あらゆることに繊細な人もいれば、そうでない人もいる。

誰しもが、意識せずとも自分の感覚を中心に世界を見るものです。
自分が理解できない感覚や性質を持った人を正しくとらえることは難しいことなのかもしれません。
とりわけ精神的なことがらは、肯定的に捉えてもらえないことも、多いように思います。

自分にできることが、目の前にいる人にとって「できて当然」、なことではないということと、
一方、自分にできないことが、目の前のいる人にとっては簡単にできる、っていうこともあります。

そこを、観ていきませんか。
「ダメ」だと評価しそうになった時、その手前で一度、立ち止まりませんか。
その人のことを、フラットに知ろうとする努力を、しませんか。
その人のすごい面を考えてみませんか。


●自分と他人は違う、と、切り離すこと

ものすごく簡単なこと、「自分と他人は違う」。

こんなこと、当たり前じゃんって思うこと。
だけど、多くの人が「自分と他人は同じ」と思っているようです。

「自分と他人は違う」「自分にできることと他人にできることは違う」
その違いを理解すること。また目の前の人を、その人”そのまま”を肯定すること。
決して”判断”や”ジャッジ”をしないこと。

それだけで、ずいぶんこの世の中は生きやすくなるのではないかと、思うのです。
個人差を知って、「だめだ」ではなく「ああ、そういうことなのね」になれば、そこからあらゆることが
発展していく気がしています。

本人も、周りも。
自分のできることとできないこと、得意なこと苦手なことに堂々としていられる場が増えたなら
あらゆる人がもっと、力を発揮しあえるのではないかと、思います。


●「今はこういう時期」なんだね

そして、

〇か×かで判断するのではなく、〇でも×でもなく。
また、大きな波も小さな波も、それもすべて、良い悪いではなく、
今はこういう時期なんだと、なんの評価もせずに受け取れたならば、
繊細なひとたちはもっと生きやすくなるんだろうと、想像しています。

試験のことなどを振り返ったり。
この一年、駆け抜ける一年でした。

新しい仕事お仕事を始めたり、資格の勉強をしたり。
ありがたいことに、休みはほとんどない状況で動くことができています。

ただ、最近ちょっと忙しすぎています。
仕事をして帰ってきて、またすぐに次の仕事の準備や勉強をして、の毎日で、やっと終わって寝る時間が毎日深夜2時や3時に。
お仕事をいただけることはありがたいことなのですが、なんだか、うまいこといかないなあと。
今年度は、もう少しゆとりを持って働けるように調整していきたいと思っているところ。

++++++++++

ところで、前回の記事にもアップした、キャリコンの試験に無事に合格しました。
11月から初めて、3月に最後の試験がありましたので、4か月くらいかな。
仲間もたくさんできて、一緒に頑張ることができました。
本当にありがたいです。

ところで、なぜだかクラスメイトから「余裕で合格したんでしょ」、とか言われるのですが、私としては必死で全く余裕などありませんでした。
わりと落ち着いている印象を与えがちな外見なので、そう見えたのかな。
褒め言葉なのかもしれませんが、なんだか努力せずに合格した、と言われているような感じを受け。
誰しもと同じように、眠る時間や働く時間や休む時間を削って詰め込んで、ストレスと闘いながら勉強していた身としては、微妙な心地でありますね^^;

+++
続きは以下に格納します。

[READ MORE...]
最近のことを、パラパラと。
キャリアコンサルタントの資格を取ろうと思いまして、

最近学校に通い始めました。

初めて学ぶことが多く、同時にこれまで自分が取り組んできたことと重なる点も多いです。

キャリアという点で自分自身を振り返った時、今年はひとつの転換期なのかもしれません。

最近の話などを少々。

(パソコン版ブログは、続きは以下に格納します。)
+++++
[READ MORE...]
記事に。
記事

朝日新聞のひとつのコラムで、私のエピソードを載せてくださいました。

パソコンのほうのお話が、メインです。

ここにそっと掲載。

つかむなす、つながる。
ひかり

「縁」ということばには、何か、人の力の及ばないどこか、神秘的な響きがあります。

なるようになるという言葉も、あります。

こういうと、何か、人力ではどうにもならない天の定め...のような、

敵わないもののようにも

聞こえるのですが。


しかし、縁は自然とどうこうなるものというよりも、”作っていく”ものであるとも、感じます。

なるように、というよりも、”成していく”姿勢が必要とも、思えます。


縁を繋げていった人、そして、なにごとかを成した人は皆、

見定めるものを見定め、やるべきことをやっています。

自分の意思で前進しています。

+++++

ある人が、人生は目標の積み重ねで作られると、言っていました。

そう感じます。


目標、かあ。

目標とか目的がある生き方って、ワクワクしますね。


そんなこと思っていた、ひととき。


父の命日におもう
ひかり

2月18日は父の命日でした。2011年。

もう4年もたちます。はやいな。

色んなことが、本当に速く感じます。

+++

感覚というのはおもしろいもので、同じだけの時が経過している事柄であっても、

随分前に感じたり、時相応に感じたり、またはまだそんなに経っていないと感じることも、あります。

さきほど、「はやいな」と書きましたが、父が亡くなったことにフォーカスして感じてみると、

4年という時は、相応に感じています。

そうだな、確かにもうそれくらい経つのかもしれないという、体感。


先日ちょうどこの時期に、父が入院していた病院を別の用事で訪れることがありました。

梅がそろそろ咲き始める時期、そして風が冷たい時期。

当時のそれがとても、印象的に刻まれていて。病院の入り口に咲いている梅を見て、

あの時のことをすこしばかり、思い出したりしました。


父が亡くなったことに関しては、未だに、何も未練もなくて。

当時はあらゆることが、すごく大変だったのですが、

亡くなってから、わりとはやいうちから、サッパリしていたので、天国で父はちょっと怒っているかもしれません。

先日の命日、18日にも、うっかりお線香を忘れるなど、しました。

けど、この時期は母と、父の思い出話などは、しています。

・・・続きは以下に格納します。
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